Trip on mao -maoというレーベルが見たTOKYO MODERN MUSICのクロスオーバー・ポイント-

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chapter01

00年代以前のフィールド

●maoの歴史を振り返る前に、ミュージシャンとしての石本さんの歴史を改めて教えて欲しいんですけど、元々は女の子のボーカルのバンドをやってたりもしたわけじゃないですか。そこから、どうやってpasadenaの音楽に行き着いたわけですか?
石本:うーん、まず“歌モノ”のバンドをやっていると、ボーカリストのキャラクターであったり、ルックスとかでバンド自体を判断されがちになるんですよ。音楽の内容に関わらずにね。そういう部分で自分のバンドがジャッジされていくことへの、もどかしさっていうのはキッカケの1つとしてありましたね。

●何か影響を受けた音楽があったというわけではなく?
石本:ずっと昔からサンプリングっていう手法は面白いって思ってたんですよ。既にある音楽をブッコ抜いて全然違うものを作るっていうアプローチに興味はあった。ただ、自分はバンドというフォーマットの中でギターを弾いている人間だから、別のフィールドの出来事だと思ってたんです。だけど、新しいことを始めようかと思ってた時に、そういうのも関係ないかなって思い始めたんですよ。それが96〜97年くらいなんだけど。まあ、BECKが96年に『Odelay』ってアルバムを出したりして、ロックというフィールドでも面白いことをする人が出てきたしね。

●初期のpasadenaはエレクトロニカ的な要素が多分にあったわけですけど、テクノやハウスがキッカケってわけじゃないんですね。
石本:もちろんテクノも聴いてたけど、そんなにハマるって感じじゃなかった。それよりもオールドスクールのヒップホップの方が好きだったんですよ。彼らは60〜70年代のファンクなどからネタを引っ張ってきて、トラックを作ってたわけじゃないですか。僕は昔からブラックミュージックが好きだったから、それを再構築して新しい形で提示したっていうことに衝撃を受けた。もちろん、その時はまだ自分はバンドをやっていたし、別のフィールドの出来事って考えていたんだけど。

●97年くらいってpasadenaはまだ始まってないですよね。どんなバンドをやっていたんですか?
石本:僕がギターとボーカル、それと生ベースとターンテーブルっていう編成でやってましたね。

●石本さんが歌ってたんですか!?
石本:歌っていうか、インチキ・ラップみたいなことをやってた(笑)。下北沢GARAGEとかでライブをやってたんだけど、全然ウケなかったんだよね。一緒に出てるバンドの人たちも「なんだ、こいつら!?」みたいな感じだったんですよ。

●ハハハッ、時代的に早すぎた(笑)。
石本:マンチェブームの時に、DJがいるバンドっていうのはいたけどね。でも、ドラムがいなくてビートをターンテーブルで作るっていうバンドはなかったですね。

●そのバンドは石本さんとしては、しっくりこなかったんですか?
石本:いや、やっていて面白かったんだけどさ、ターンテーブルをやってた奴が「やっぱり、俺はヒップホップに帰る!」って言い出したりして(笑)。それで普通のギター&ドラム&ベースっていう編成のバンドになったりもしたんですよ。でも、そのあたりからバンドの音とシーケンサーを組み合わせるっていうアプローチを模索し始めたりした。

●そこからpasadenaへと繋がっていくわけですね。
石本:それが99〜00年頃ですよ。

●現在のmaoというレーベルの人脈っていうのも、その辺りの時代に出来ていったんですか?
石本:そうだね。レーベルを始める前にPATHっていうイベントを01年から始めていたんですけど、その1年前くらいからFlyrecの人たちと知り合ったんです。それで彼らのイベントに遊びに行ってたりしたんですよ。そういうイベントから東京でエレクトロニカをやっているアーティストが紹介されるようになっていったように思うんだけど、その動きが自分にとっては面白かったんですよね。

●当時、エレクトロニカ系のイベントってどこでやってたんですか?
石本:Flyrecは下北沢Queでオールナイトのイベントをやってたりしてたよ。あとはカフェとか、使われてないようなアパートに人が集まってヘッドフォン・ライブをしたり。

●ヘッドフォン・ライブってなんですか?(笑)
石本:久我山だったと思うんだけど、使ってないアパートがあったんですよ。そこにミキサーと30個くらいのヘッドフォンを用意して、お客さんはヘッドフォンを着けてライブを聴くっていうもの(笑)。それを確かパリと同時に開催してネットでリアルタイムで配信するっていうイベントだった。

●へぇ、そんなイベントがあったんですね。エレクトロニカのイベントとかだと当時の青山CAYとか恵比寿のMILKとかだと思ったんですけど。
石本:それは、もうちょっと後の時代ですよ。当時はもっと草の根のところで動いてた(笑)。あとは実験音楽系のライブをやっていた代々木のOffsiteっていう所とかね。東京だとそういう場所が面白かったなぁ。

●昔はちょっとエレクトロニカ系のアーティストのライブだと、客がフロアに体育座りをして聴いてるっていうのもありましたねぇ。最近、そういうのは無くなってきましたけど変な集会みたいだった。個人的にはヘッドフォン・ライブってのもいかがなものかって思う (笑)。
石本:当時はそれがスノッブでカッコ良かったんだよ! 他の音楽好きとは違うぜって感じで(笑)。

●えぇ〜、そうっすか?
石本:まあ、あれはあれで良い時代だったんだよ。あの体育座りの光景って昔のネオアコ好きに通じるもんがあるっていうかね。今はもうそういうのなくなっちゃったけど、80年代のピテカンとかでやってたヒップホップとNWの融合とかさ、新しいもの=スノッブだったわけですよ。幸せな時代だよね今にして思えば。だって今は「新しい音楽なんて無い」ってのが定説みたいになってるでしょ。

●でも、maoでリリースしてきたもので、エレクトロニカのアーティストってないですよね。
石本:ないですね。maoを始める前から、エレクトロニカを紹介しているレーベルっていうのは既にあったんですよ。Cubic Musicや360°recordsとかね。だから今さら自分がやる必要もないって思っていた。それに僕は彼らみたいにエレクトロニカやテクノ、それに現代音楽ばっかりを聴いてきた人間でもないから、そういうフィールドに迂闊に手を出しても薄っぺらいものになると思ったんです。だから自分はエレクトロニクスと生の演奏をミックスして、新しいアプローチの音楽をやっている人たちを紹介するようなレーベルをしたいと思ったんですよ。

chapter02

ポストロック〜ダブを横断するフリースタイルミュージック

010602.gif●石本さんが主宰しているPATHですが、第1回目はどこでやったんですか?
石本:三軒茶屋のGrapefruit Moonです。

●じゃあ、Grapefruit Moonが出来たての頃?
石本:多分、出来て半年くらいだったと思う。ちょっと普通のライブハウスでイベントをやるっていうのも「どうかな?」って考えていた頃だったんです。もうちょっとリラックスしてライブが出来る場所が欲しかったんですよ。そういう場所としてGrapefruit Moonはピッタリだった。それでPATHの趣旨を説明したら面白がってくれたんだよね。

●ちなみに1回目のPATHの出演者は?
石本:僕がやっていたCorKyeesとFlyrecからリリースしているMAS、それと藤原大輔さんMemory Labのオーナーの高橋健太郎さんのスペシャルユニットでしたね。それから隔月くらいでGrapefruit MoonでPATHを続けていたんです。そうすると出演者と話をすると「なかなかリリースするレーベルがない」っていう話題が出てきた。それなら自分でレーベルを立ち上げようかって徐々に考え始めたわけです。

omote01.jpg●じゃあ、02年にリリースしたmao第1弾のコンピレーション『UR』は、基本的にPATHに出演していたアーティストたちですか?
石本:そうそう。PATHに出演してもらったり、僕がCorKyeesで一緒にライブをした人たちが軸になっています。

●当時、石本さんがやっていたCorKyeesはイギリスのレーベルからリリースしたりもしてたわけですけど、シーンとして日本の状況ってどんな感じだったんですか?
石本:すごく局地的なものですよね。でもテクノ系の人たちも、フリージャズやインプロ系の人たちも、僕たちみたいなロック系の人たちも、カンのいい人達は「なんか面白い動きがあるぞ」とは思ってたんじゃないかな。だから別々のフィールドで活動していた人が集まってきたわけで、これまでとは違った面白いことが起きるような可能性を感じていたと思う。

●既に当時からポストロックっていう言葉はあったりしたわけですけど…。
石本:ありましたねぇ。ただ当時はTortoiseをしてポストロックと言わしめていたわけですよ。ジョン・マッケンタイアが生音をPC上でブッタ切って、エディットしていくっていうことをやったわけで、それがポストロックだった。それはエレクトロニカに通じるものがあって、当時の東京ではポストロックとエレクトロニカはリンクしていたんだと思う。

●多分、今は堂々とポストロックっていう言葉を使うのは恥ずかしさを持ちつつ躊躇する感覚があると思うんですけど、当時と今では何が違っちゃったんですかね?
石本:だって今のポストロックって“ポスト”ではないじゃないですか。巡り巡って王道の系譜に乗っかっている感じがするんだよね。当時、僕らが面白いと思っていたのは、あるモノを一度壊して再構築するって作業であり、そこに可能性を感じていたわけです。でも、今のポストロックっていうのは何となくポストロック的なフォーマットがあって、それをどうやってトレースしていくかって感じがするんですよ。まあ、今までもムーブメントは得てしてそういうものだったけど....。ただ、この分野においてはそうはならないと思っていたんだよねぇ。これまであったブームとは全然違うものだと思ってたんだけど、やっぱりこうやって飲み込まれていくもんなんだな…って今は思うよね(笑)。

●この『UR』のコピーは“ポストロック〜ダブを横断するフリースタイルミュージック”とあるわけですが、“ダブ”っていうキーワードは当時からあったんですね。
石本:ただし、この頃は僕のなかでもダブに対する明確な定義づけは出来てなかった。でも何となく音の質感も含めダブっていうのは、スクラップ&ビルドして意味を変化させるというアプローチなんだと感じていたんだと思う。だから、このコンピに参加してもらった人たちは一見すると共通点はないように思えるかもしれない。ECHO MAOUNTAINは正統派というかレゲエのなかでダブをやっている人たちだし、drummaticはFlyrecのオーナーのユニットなんだけど純然たるエレクトロニカ。映糸は今だとフォークトロニカって言われるだろう音楽だし、jimanicaが当時やっていたmoaiってバンドも入ってるけど、これは人力高速ドラムンベースみたいだし。でも、音楽に対するアプローチという意味では共通してると思うんですよ。

●『UR』ってタイトルはデトロイトテクノのUnderground Resistanceとカブるんですが…。
石本:それはみんなに言われました(笑)。実は、これは赤ちゃんが生まれてから一番最初に出す音っていうのが“アー”っていうらしいんですよ。その表記が“UR”なんですね。maoとしては最初の1枚目になるんで、このタイトルにしようと思ったんです。でも、みんなからは「Underground Resistanceでしょ」って言われるから、後々「しまったな」って思ったんですけどね(笑)。

chapter3

接点を持ち始めたクラブフィールドとインプロフィールド

●2002年にコンピレーションアルバム『UR』をリリースしたわけですけど、当時からレーベルの仕事に本腰を入れていこうって感じだったんですか?
石本:いや、当時は会社に勤めていたし、自分でも手探りな状態でした。まあ頭のなかで構想ばかり練っていても仕方がないから、やってみようって感じでしたね。あとレーベルのノウハウも分からなかったんだけど、やってみないことには始まらないしね。当時はどうやって流通をさせるのかも分からなかったし。

exp_xpe.jpg●翌年にはエレクトロニカユニットmetro999の『exp_pxe』をリリースするわけですが、彼らの音源をmaoで出そうと思ったのは?
石本:まず彼らとは何回も対バンをしてきたし、ホントに好きなバンドだったんです。それにマキちゃんの生ドラムとキクチくんのサンプラーで作り出すmetro999の音楽っていうのは、自分が考えていたレーベルのイメージと一番合っていた。アブストラクトなテクノを生で演奏するというスタイルは、当時はなかったですからね。今、聴いてもすごく面白い音楽をやっていたと思う。

●metro999のCDショップの反響はどんな感じだったんですか?
石本:評判は良かったですよ。ただ、やっぱり限定はされるよね。TOWER RECORDS渋谷店の5F(このフロアの一角には現代音楽、エクスペリメンタル、アバンギャルド等々を取り揃えた一角がある)とか、TOWER RECORDS新宿店の9Fとか。あとはクラブミュージックのバイヤーさんが興味を持ってくれたら、そこでも紹介してくれるっていう感じですね。あとはCISCO RECORDSとかね。

●metro999のマキさんは、現在は彼女が中心となってHBというバンドをやってますね。
石本:キクチ君の方はsalmon(サーモン)という名義でDJをやったりWC Recordingsというレーベルをやってます。このレーベルは海外の配信サイトから毎週楽曲をリリースしたりしていて、面白いですよ。

jacket00.jpg●HBは生音でトライバルなサウンドをやっていることを考えると、2人の方向性がハッキリ分かれたわけですね。そして同じく06年にリリースしたfeepの『the great curve』ですが、これもmetro999とはまた違うmaoの方向性が窺えますね。
石本:そうですね。feepは大島輝之さん大谷能生さんなどがいたバンドで。feepもね、初めてライブを観たときにmaoでリリースしたいって思ったんですよ。この音源は評論家ウケは抜群だった。でも、レコ発の日にfeepは解散しちゃうんですよね。これからライブをやって頑張ろうって時だったのに(笑)。

●今は大島さんと大谷さんはsimっていうバンドを一緒にやってるのに(笑)。
石本:当時、この音源に対しては「エレクトリック・マイルスの再来だ」ってレビューなどで紹介されていました。で、それを見た大島さんが凄く怒ってたのを覚えている(笑)。本人は全然、そんなつもりはなかったらしいですね。まあ、当時はエレクトリック・マイルスが再評価をされていたからだと思うんだけど、本人はそういう安易なカテゴライズが凄くイヤだったみたいですね(笑)

●このfeepに対してコメントを寄せているのも山本精一、菊池成孔、佐々木敦っていう錚々たる人たちですね。
石本:大島さんも即興音楽の世界で主に活動していた人だから大友さんや山本さんと一緒に演奏していたりしたんです。このfeepに関しては大島さんとしても、初めて自分のリーダーバンドで作品を発表するということで気合いも入ってた。ずっとウチでミックスをやっていたんだけど、昼くらいに来て夜中の2時くらいまで作業をして朝方に帰っていくというのを毎週してましたからね。実は大島さんはその頃、パソコンが使えなかったんで僕がオペレートしてたんだけど、ものすごくダメ出しをされながら半ベソをかいて作業をしていました(笑)。いやでもあの人の耳の良さはホント今でも凄いと思います。

●この2003年に出したmetro999とfeepって、当時の状況だと異なるフィールドで活動していたアーティストとも言えますよね。
石本:そうそう。metro999はクラブカルチャーのフィールドで活動していた人たちだし、大島さんや大谷さんはインプロビゼーション方面の人たち。ただPATHというイベントでは、そういうのは関係なく出演してもらっていた。当時はそういうこを意識していたわけじゃなかったし、戦略的にやったわけでもなかったですね。

●でも、クラブカルチャーのシーンとインプロのシーンが接点を持ち始めるっていうのは面白い流れでしたよね。その後、ROVOやDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENが絶大な支持を集めていくわけで。多分、異なるフィールドの人たちが接点を持ち始めた時代で、その時に生まれたmaoというレーベルが図らずしも、その状況を体現していた。でも、こういうレーベルもあんまりないですね。
石本:そうですね。佐々木敦さんがやっているHEADZ/WEATHERとか高橋健太郎さんのMEMORY LAB くらいだったかもしれないですね。あとはエレクトロニカだったり、ブレイクビーツだったり何かに特化しているレーベルになりますからね。

chapter4

fishing with johnとフィットした音楽配信

ジャケット表.jpg●それで04年にリリースするのが現在ではmaoで最も多くリリースしているfishing with johnの『残響ピクニック』。
石本:彼もmetro999やfeepとは全然タイプが違うアーティスト(笑)。

●アコースティックギターのサウンドを主体としたミニマルなインストで、maoのなかでも突出している爽やか系のサウンドです(笑)。
石本:彼はmaoっていう面白そうなレーベルがあるって見つけてくれて、それでデモを送ってきてくれたんですよ。

●当時、結構デモテープは送られてきてたんですか?
石本:結構きてましたね。1人で作品を作って、プロフィールのところに機材とソフトの名前がズラッと並んでるような感じの音源が多かった(笑)。ただ、その中でもfishing with johnは圧倒的に音の質感と世界観があったんですよ。ホントにズバ抜けてた。だから彼から送られてきたMDを聴いて、すぐにメールを送りました。

●fishing with johnはCDという盤だけじゃなく、iTunes Music Store限定でシングルを発表したり、配信に対して積極的ですよね。
石本:05年に2ndアルバム『鈍行ブックモービル』をリリースしたんですけど、ちょうどこの時期に日本でもiTunes Music Storeが始まったんです。そこでfishing with johnが大きく紹介されることになり、切り離せない関係になった。僕は音楽配信に関しては、ずっとやりたい気持ちが強くて、iTunes Music Storeの日本でのスタートも待ちに待っていたという感じだったんです。レーベルとしてはパッケージのCDをリリースするよりも固定費が抑えられるという利点があるわけですけど、アーティストとしても例えば良いライブテイクが録れたら発表したり、新曲が出来たらすぐに発表することができる。あとmaoではNapsterでも配信しているんですけど、こういう定額制の音楽配信サービスなら、もっといろんな音楽を聴きたいと思ってる人や掘り起こしたいと思ってるリスナーにも聴いてもらえると思うんですよ。

●確かにmaoからリリースしているアーティストのCDは、音楽好きのハードリスナーが見つけて聴くというケースが多いですからね。
石本:パッケージングまでされた状態をもって作品であるという意見もあるけど、僕は音楽っていうのは聴かれてナンボだって思うんですね。それに、これだけクオリティの高い音楽を紹介しているという意識もあるんで、とにかく聴いて欲しいって思う。fishing with johnの場合はiTunesで彼のことを知った人が沢山いる。それは僕としては本来届くべき人たちに届きはじめた感じがするんです。

●そうですね。fishing with johnの場合はよくライブに行く人やハードリスナーじゃない人に聴かれている感じがしますもんね。音楽マニアじゃない人たちにも受け入れられている。
石本:そう、それで楽曲に対する熱狂的なレスポンスがあったりするんですよ。だから、音楽配信というスタイルがfishing with johnの場合は凄くフィットしたんですよね。それに彼の音楽家としての活動も配信があるから続けられるという側面がある。

●確か彼は張り子職人という仕事も持ってるから、ライブを音楽活動のメインとしているアーティストでもないですからね。
石本:だから音楽配信というスタイルがあり、そうやってアップ・トゥ・デートで自分の創作したものを発表できる場っていうのは素晴らしいよね。彼ならではの音楽の関わり合い方がmaoでやっていることでキープできているっていうのは、自分でも嬉しいですね。

chapter5

maoとpasadenaという2つの表現

jacket01.jpg●石本さんがやっているpasadenaの1stアルバム『woody guthrie』は04年に発表されたわけですが、pasadenaはCorKyeesとはまた違った方向性のものですよね。
石本:CorKyeesが03年の2月くらいにバラけましょうってことになって、すぐにpasadenaとして活動を始めたんですけど、コンセプトはアゲない音楽でした(笑)。

●それはmaoのコンセプトとは異なりますよね?
石本:レーベルはもっと広いレンジで見ているから、いろんな要素があって良いんですよ。でも、自分の音楽活動という部分で、pasadenaはかなりピンポイントで考えてました。

●レーベルを介していろんな音楽を紹介していくっていうのも、ある種の表現活動であると思うんですよ。それが自分の創作活動になるとその表現欲求を絞れるものなんですか?
石本:でも音楽活動ってそういうもんだと思うんですよ。何でもやるとリスナーには伝わりにくい。だから、いかに捨拾選択して煮詰めて出すかっていうのが表現活動だと思うんです。まあ、これまではアレもやりたい、コレもやりたいっていうのがあって失敗してきたわけですよ(笑)。そういう反省も踏まえて、やりたいことが10あるとしたら9は切り捨ててやるくらいのつもりでやってますね。だから残った表現欲求っていうのをレーベルで、自分がカッコ良いと思った音源をリリースしていくことで昇華しようって当時は思ってた……でも、maoのカタログを見ただけでも凄い人は一杯いるわけですから、今となってはそういうのもかなりオゴった考えで。僕個人がその人たちのクオリティに適うわけないって思いますね。

●まあ、確かにpasadenaでは石本さんがやりたい音楽を絞って表現している面はあると思うんですけど、変化をしていっている部分もありますよね。
石本:そうですね。この『woody guthrie』のテーマはエレクトロニカをギターで表現するということでした。だけど、この作品をリリースしてからバンドセットでライブをするようになってきて、それが次の『One Point Five』に収録されている。さらに今度リリースする『encontro』っていうアルバムでは生音中心で、個人的にはレイドバックしていっている感じはありますね。

sod_jacket02.jpg●2004年にmaoの2枚目のコンピレーションアルバムとなる『seeds of dub』をリリースするわけですが、この作品で石本さんのダブについての考え方が明確に出ていると同時にmaoというレーベルのカラーも提示されていると思います。レゲエのレーベルじゃないのにダブのコンピを出すっていうところも、そのコンセプトがわかりやすいっていうか。
石本:凄いわかりやすかったんでしょうね。多分、このコンピでmaoというレーベルのことを知った人も多いと思います。ダブというアティテュードを違う切り口で見せることが出来た。生音をコンピュータ上でエディットしていくのも、エレクトロニカでフィルターを掛けて音を変調させていくのも、レゲエフォーマットに則ったダブというのも同じなんですよね。音に対するアプローチの仕方という意味では同じじゃないでか。リミックスというのもそうですよね。だから全てを総じてダブって言ってしまっても良いんじゃないかって思ったんですよ。

●戦略的に考えてなかったにしても、2002年から2004年までにリリースした6枚の作品で、現在までのmaoの方向性っていうのが見える感じがします。
石本:レーベルとしてのバリエーションっていうか、方向性っていうのは6枚リリースしてきたなかで全て出たかもしれないですね。

rsk_jacket.jpg●2005年からリリース枚数も増えていくわけですが、確かにmaoらしいバリエーションというのは出来ていると思います。ポストロック以降の感覚で実験性を持った作品を発表しているドラム奏者のJimanicaや、Tsuki no waのSax奏者である伊藤さんのバンドRyusenkei-Body、山田民族率いるF.L.Y.の作品があったり、一方でE.D.O. ECHO SOUNDSYSTEM、microshot、ELINAといったレゲエ/ダブのカラーが強い作品がある。そしてpasadena、fishing with john、doldrumsといったチルアウト系のものですね。またmaoとは別のラインとしてロック系のサブレーベルのliftも立ち上げてgreenmilk from the planet orangeやurnellysもリリースしてきましたね。
石本:まあ、自分がロックのフィールドで活動してきたということもあって、liftを立ち上げたんですけど、maoと共通しているところはメインストリームじゃないってところでしょうね。greenmilkもuhnellysも自分たちの力で海外で活動したりしていて、それは僕たちの世代では考えられなかったことなんですよ。そういうバイタリティにはグッとくるものがあったんで、僕としても音源をリリースするという形でサポートしたいと思ったんですよ。

chapter6

00年代から10年代へ〜これからのmaoレーベル

edoecho_jacket.jpg●maoでもE.D.O. ECHO SOUNDSYSTEM以降、直球というかレゲエ畑のダブ作品がリリースされますね。
石本:ずっとハッキリした形でダブの作品を出したいとは思ってたんです。彼らはmaoというレーベルのことも知らなかったし、全然僕たちとは違うフィールドで活動してきた人なんですけどね。ただリーダーのjinya君は昔フリクションが好きだったし、共感できる部分も多かったんですよ。

●ロブ・スミス(Smith&Mighty)からコメントを貰ってるってのが凄いですよね。
石本:直接、メールを送って貰ったんだけど(笑)。まあ、E.D.O. ECHO SOUNDSYSTEMを出したいっていうのは、メガネ男子ばっかりに好かれるCDばっかりを出していてもなっていう気持ちも当時はあったんですよ。

jacket.jpg●メガネ男子ですか(笑)。でも、音楽をよく知ってることが、音楽ファンのなかで特権階級的なポジションになるっていう感じは、最近はなくなってきましたね。音楽も多様化していると同時にリスナーも多様化している。いろんなアーティストがいて、それを支えるリスナーが見えてくると音楽業界も、もっと分かりやすい状況になってくるんじゃないですかね。それにかこつけてってわけじゃないけど、個人的にmaoのなかでベストアルバムなのがJimanicaの『Entomophonic』です。こんなドラムソロアルバムっていうのは他に存在しないですよ。こういう作品はもっと出していって欲しいんですけど。
石本:これは04年の忘年会の時に尾嶋君(Jimanica)と呑んでいて、メロディなんか入ってないドラムだけのアルバムを作ろうって口説いたんですよ。本人は「そんなので良いの!?」って言ってたんだけど、僕はドラムしか聴きたくなかった。変にメロディとか上モノの音でドラミングを潰したくなかったんですよ。テクノっぽく上モノのシーケンスを付けてしまうと、パターン化されるし、そういうものを聴かせたくなかった。あとトライバルな感じにもしたくなかったんだよね。

●で、各曲“虫”をテーマにしたドラミングを聴かせるっていうのは斬新ですよ。ライブでも再現できてカッコ良いっていうのが素晴らしい。
石本:このアルバムがキッカケになって、尾嶋君はd.v.dの活動やJimanica × Ametsubに繋がっていったと思うんですよ。だから彼にとっても意味のある作品になったと思う。

●しかし、maoも2005年から一気にリリースのタイトルも増えましたよね。
石本:実はこの年に会社も辞めてるんですよ。自分でも二足のワラジが難しくなってきた(笑)。『seeds of dub』を発表したあたりから、レーベルとしても認知されてきた感じもして、それでリリースする作品の数も増えていきました。ただmaoでいろんな作品をリリースしてきたけど、最終的に出したいと思うかどうかっていうのは、自分の琴線に触れるかどうかってところでしかないって思うんですよね。そこを譲ったら自分がレーベルをやる意味なんかないと思ってしまうんですよ。だから基本的なスタンスは変わらない。CDを買いに行って、何となくその場で出会って凄く良かった作品ってあるじゃないですか。こちらはいつもクオリティをキープした作品を出して、それを(そういう音が好きな人達に)きちんと届けてあげる。自分がやりたいのはそういうことなんですよね。自分が好きなインディレーベルっていうのはそういうものだったから。

●僕はJUNGLE★LIFEっていう邦楽中心のフリーマガジンで仕事しているっていうのもあるんですけど、個人的には日本で面白いことをやっているアーティストが沢山いることを知っていってから、あんまり海外の音楽を聴かなくなりました。まあ、それが良いのか悪いのかは別なんですけど、インディペンデントで面白い活動をしている人が国内にいるんだから、もっと知られても良いだろうって思います。
石本:僕もレーベルを始めてから殆ど気にしなくなりましたね。あんまり面白いと思わなくなってきたんですよ。それより自分の周りで音楽をやっている人たちの方がクオリティも高いと思う。それまではずっと海外偏重主義みたいなところがあって、金科玉条のようにアメリカやイギリスの音楽を有り難がっていた人間なわけですよ。それがレーベルを始めて、特に僕が紹介しているフィールドに関する音楽においては日本人の方がクオリティが高いと思うようになってきた。身贔屓なしでそう感じるんですよね。

●お鍋も美味しいし酒もすすむので酔っぱらってきました(笑)。(注:このインタビューはmaoスタジオで石本さんの奥さんに作って頂いたお鍋を摘みつつ、ビールを呑みながら行った)。じゃあ、そろそろ最後の締めとして今後のmaoの活動っていうか、指針みたいなものを教えてください。
石本:「志をもって無秩序に」っていうのがmaoのアンセムの中にあるんですが、それがどんどん加速していきそうな感じはしますね(笑)。その人の色みたいなものがはっきり出ていればインストでも歌ものでも全然OKというか....。そういう、みんながまだ知らないけど素敵なモノ、カッコイイモノっていうのをどんどん紹介して行ければなと思います。